2008年9月25日木曜日

Dr.Shah ティーチングセミナー2008

 研修医1年目の町田です。9月22~24日の3日間、Dr. Shah(ドクタ-シャ-)によるteaching seminarが勤医協中央病院で行われたので報告します。(初日の分のみ)

 Shah先生はインド出身で、世界をまたにかけて活躍されている循環器のお医者さんです。今回も夫人同伴で日本に来ました。

 今回のセミナ-も例年通り研修医を対象にしています。初日は、われらが誇る同期の和田Drと香取Drによる症例「syncope」、「acute back pain」の提示とShah先生による「Heart failure」のレクチャーが行われました。Shah先生はもちろん日本語を話さないので、英語で症例を提示し、英語で議論するといったスタイルで進み、純日本人である私にはかなり厳しいものではありました。しかし、途中適宜スライド(やっぱり英語ですが読むのはなんとかなる)や心臓の模型を使っての説明を加えてくれましたので、先生のやさしさに触れることもできました。

 次にセミナ-の内容に少々触れたいと思います。和田Dr.の「syncope」の症例では、syncopeの定義を確認することから始まり、続いて鑑別診断をみんなで考え、以下のものを列挙しました。

① vasovagal
② arrhythmia→tachycardia→VT、PSVT、Af 
   bradycardia→AV block(type II III)、SSS
③ cardiogenic→HOCM、LV outflow obstruction 、AS   など

 続いて陰性所見などを基にしたrule outを行なったり、ECGやCTでの評価、治療法などを2時間かけてじっくりと行われました。

 今回のセミナ-で感じたことは、英語は読めるだけでも素敵ですが、聞く・話すができるともっと素晴らしいということです。読むのは自分でトレーニングできると思いますが、聞く、話すは相手がいないと難しいものです。このブログを読んでいる皆さん、特に学生の皆さん、今からでも遅くはありません。どんな方法が良いのかわかりませんが、英語で相手とコミュニケーションすることに慣れ親しんでください。そうすると、更に素敵な世界が広がること請け合いです。私も遅ればせながら、新たな世界を広げようかと考えています。

 それでは今回はこの辺でお開きにいたします。



今回の御言葉 「優秀な同期がいるのは幸運である。」

2008年9月3日水曜日

旭丘高校の進路座談会に参加して  最終回

前回のつづき


 プレゼンの後、一人の男子から、「医学部に行きたいけど、成績がついてこない、どうしたら、中村先生みたいに明るく、前向きになれますか」という質問が出た。中村先生から「今から心配しなくて大丈夫だよ、私だってそうだったよ。」という暖かいコメントがされた後、私はイメトレの勧めをした。

「イメトレはスポーツマンだけのものじゃないだよ、願えばかなう、というのは、具体的なアクションなんだよ、即ち、イメトレなんだよ、僕は社会人の間もずっとイメトレしたんだよ、それでトップになれたんだと思ってるよ。」 と話した。その時、無責任な閃きが口に出た。

「そうだ、君、今度、病院においでよ、あの戦闘服(術衣)着せて上げるから、それで医者になったイメージ作ろうよ、みんなどう?」

 その瞬間の、その男子と、その周りの生徒達が示した嬉しそうな顔。これは是非、実現させたいと思った。
 
 その後、皆に感想文を書いてもらった。とても嬉しく、励みになるコメントを沢山頂いた。質問タイムでは、持ち前のシャイさ(担任の先生曰く、旭丘の生徒の特徴だそうです)のせいか、質問は2人からだけだったが、感想文には、みんな、しっかりした意見を書いてくれた。

 医者、看護師はいつでも憧れの仕事。多くの青少年が夢に描く仕事。その夢を抱き、また悩む17歳達と、その夢の一歩、二歩、三歩を踏み出した若い医師、看護師が出会った1時間たらずの時間と教室空間。さわやかで、ちょっと甘酸っぱくて、誠実で、暖かい交流に交ぜてもらえて、ホントに良かった!!
 小生を引きずりだしてくれた中井さん、中村先生、河原さん、そして段取りをしてくれた事務局の扇谷さん、今野さん、他の参加者の皆さん、お疲れ様でした!!



1年目研修医 山本

旭丘高校の進路座談会に参加して  その3

前回のつづき


 座談会は、中村先生の「まず夢を考えてみて下さい」というスライドで始まった。

 集まった高校生は医療職に興味を持つ20名。男子がやや多いか。変な3人組(変なのは私ひとりだが)が入ってきて、少々緊張気味の生徒達。中村先生の問いかけに、ある者は上目使い、ある者は目を伏せて、自分の世界へ。



 ついで河原看護師の自己紹介と看護師の一日の話。とても具体的で分かりやすい内容に、看護師志望なのだろうか、数名の女子が目を輝かせる。




















 そして私の「自己紹介」と「麻酔科研修医の一日」のスライド。出だし「時々院長に間違われる」という話は受けなかった。









 「麻酔科研修の一日」、サブタイトルに「数年後の君の姿かも知れない」と入れ、「自分がそこにいると思って見てね」、と振ると、がぜん、彼らの目の輝きが変わる。
 「数年後、君たちも、2ヶ月の研修で、こんなことが出来るようになるんだよ」と締めくくると、なんだか嬉しそうな顔がちらほら。










 次に中村先生が「もう決めている君へ」と題して、実践的な勉強ノウハウや心構えを話す。みな、なるほど、という感じで聴き入っている。






















 で、私の2枚。まず、ロダンのジョーダン、結構受けてる!気分舞い上がる!(だって、相手は「オヤジ狩りされないだろうか?」といつも恐れている現役の高校生ですよ、そりゃー嬉しいですよ)。

 「迷いの源泉は何」のスライドで、「こんなことで迷っているのでは」と、問いかける。何人かが頷く。よかった、外していないようだ。で、「迷いへの処方箋」。 老医師と少女の絵に皆の頬がゆるむ、そして脈の説明に対して、目をぱっちり開いて頷いてくれた女子が目に止まる。 結構多くの男子、女子が「処方箋」の話を食い入るように聴いてくれている。











 迷ってるんだなあ、この子達。なんだか皆を抱きしめてやりたくなった。
 「人生は長いぞ、とにかく一歩踏み出そう、人生の選択に間違いなんてないぞ、いつでもやり直せるぞ、never too lateだぞ」 とコメントに力が入る。

 そして、最後に、中村先生の「願えばかなう」のスライドでプレゼンテーションは締めくくられた。中村先生の熱い思いが伝わる1枚であった。











1年目研修医 山本


次回、感動の最終回

2008年9月2日火曜日

旭丘高校の進路座談会に参加して その2

前回からの続き


  
  医者の一日か。作るならば、見た高校生が、「おれも私も医者になりたい」と思うような、憧れ心を揺さぶる、臨場感のある紹介をしよう、と、気持ち一転、詳細に現場を写真に収めることにした。一緒に麻酔科を回っていた和田先生が、絶大なる協力をしてくれた。麻酔科では手術の谷間での15分昼食などというのもしょっちゅう(でもないか)なのであるが、乗りのいい和田先生が「僕が弁当を買ってきて渡すシーンなんかどうですか、忙しそうでいいんじゃないでしょうか」と提案してくれる。もち採用。かくて彼が笑顔で弁当を差し出すシーンがスライドを飾ることとなった。結局、朝7時から晩10時くらいまでの設定で、手術室を中心に(もちろん、患者様の顔が写らないように配慮しながら)、そこで働く麻酔科医(ほとんど私一人であるが)、甲斐甲斐しく働く看護師の皆さんの姿、麻酔の機器、術野に向かう外科医の姿などを、時系列に並べたスライドを完成させた。



 ほっとしたのもつかの間、最後の会議で、やはり、もう少し明確にメッセージを送ろうじゃないか、という話になり、思いつくまま、「もう決めた君へ」と「まだ迷っている君へ」というタイトルを提案したところ、即採用となり、やはりここは人生経験で、ということで、私が「まだ迷っている君へ」を作ることとなった。本番1週間前のことである。即座に2枚思いついた(プロジェクトXか?)

 最初は「迷っている君へ、迷いの源泉はなんだろ?」2枚目は「迷いへの処方箋」。 私の人生の集大成、とは大げさであるが、人生で壁にぶち当たる毎に自分なりに模索して得た解決策(多くは自分の納得のさせ方)を7項目にまとめた。そして、一枚目の背景にはロダンの「考える人」の写真。

「これはロダンの『迷える人』ですね、うそですね、『考える人』ですね、でもどう見ても、迷い悩んでますね」 というジョークを用意した。(どうしても、関西人の血が騒いでしまうのである)



 2枚目の背景には、大好きな米国の画家ノーマンロックウェル描く、なんとも微笑ましい、老医師と往診先の少女の交流の絵を。(少女が「この子、病気なの」と持ってきたお人形の腕を取って脈をまじめに見ている老先生の姿)

「この先生、人形だからと言って手を抜いてないですよ、指3本を揃えて正確に脈をとってるんですよ、こんな医者になれたらいいですね」とコメントすることに決めた。準備完了、いざ、旭丘高校へ!!


1年目研修医 山本




さらに続く

2008年9月1日月曜日

旭丘高校の進路座談会に参加して

 6月某日、医局事務 医師研修課 中井主任より、「先生、ものは相談なんですが、8月末に旭丘高校で開かれる進路相談会に行ってもらえないかという話があるんですが、、、佐藤健太先生からのたってのご指名でして。。どうですかねえ、、」と、突然のお話。(以下、山本=山、中井=中、敬称略)


山「え、どんな内容なんですか?」

中「医者になりたての先生から、高校時代に何を考えていたかとか、進路に悩んでいる生徒達に、何か役にたつ話をしてももらう、という趣旨なんですが。」

山「。。。。なりたてと言っても、こんな白髪のオッサンが若い先生と一緒に行って、「なりたてでーす」なんて言うのもメッチャ怪しくないですかあ、それに、あなた、私が高校時代に何考えてたかなんて、思い出の遙――るか彼方、戦前とまでは言わないけど、共通一次すらない時代の、セピアにくすむ昔話ですよ」

中「いや、それでも、経験を色々積んでおられるので、、、その話なんかを、、、」

山「うーーん、それに、どうしようか悩んでいる生徒みたら、『別に無理して医学部行かなくてもいいんじゃない?社会人やってからでも全然遅くないよ、僕みたいに』みたいな話しちゃうかも知れないけど、それでもいいんですかあ? 親に恨まれたりしません??」

中「うーーーーん、それは^^;、、、、。 」



 というような会話があったものの、これから人生を模索していこうとする10代半ばの高校生達に是非会って話してみたい、自分の人生の拙い経験、教訓を伝えてみたい、という、ちょっとした激情に駆られ、


山「いや、まあね、その辺は上手く話しようと思えば出来ないこともないし、せっかく、ご指名いただいたことでもあるし、お受けしましょう!!」

中「いやーー、ありがとうございます、親御さんに配慮しつつ、先生の好きに話していただければ。。」


 と、まずは、それぞれの思惑が交錯したままに、この商談が成立したのであった。 

 それから、2ヶ月ちょっと、私は麻酔科研修に明け暮れ、自分の世話で精一杯、どのような話をするか輪郭も描けぬまま、途中何度か開かれた準備会議で、「やはり、山本さんはメインで話すのではなく、座談会の質疑応答を盛り上げてくれれば、、」というような、いわゆるビミョーな成り行きだったので、プレゼンの準備はいらんかも、しめしめ、と高をくくっていたところ、同じチームのリーダー、中村祥子先生があの素敵な笑顔で、「先生、自己紹介と、医者の一日みたいなスライド、お願いしますねー」
。。。。うん、やっぱりひとり楽はできんわい、と観念。

1年目研修医  山本

つづく

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